私は「ミノルタ」というハンドルネームを名乗っております。
これはもちろん、実在する上場企業であるコニカミノルタ社(つけた当時はまだ合併していませんでしたが)に由来したものです。そもそものミノルタ社の社名の由来(説の一つ)である「実る田」という響きが好きだったのでつけました。
この名前を使い始めた当初は、ミノルタにお勤めなんですか?とか、カメラに興味があるんですか? などと聞かれることがありました。でも、私はカメラメーカーに勤めてるわけでも、カメラに興味があるわけでもなく、ミノルタ社の株を買ったことも、いや買おうと思ったことすら一度もありません。
なぜ唐突にこんなことを書き始めたのかといえば、投資の世界において、数は少ないながら私と同じように上場企業名を名乗られている「フージャー」さんという方が、昨日をもってツイッター更新停止をされることになったからです。
一方的ではありますが、勝手に親近感を持っていたので、なんだかとても寂しいです。
そして勝手に親近感を持っておきながらなんですが、私とフージャーさんは、同じようでいて、違います。
私がミノルタと名乗っておきながら、ミノルタ社の株を持ったことがない不届き者なのに対して、
フージャーさんは、その名の通りフージャース株に投資をされています。
フージャーさんご本人は、「信用取引には絶対に手を出さない」とおっしゃっており、実際、現物での投資をされていました。
ですが私は、フージャーさんという名前を使い、フージャースを持っているという前提で活動されるというのは、ある意味で、「精神的な2階建て」の状態にあったのではないかと思います(悪い意味ではありません)。
どういうことかというと、フージャーさんは、「フージャース株を全力で持つフージャーさん」と周りから認識され、一躍有名になりました。
そうすると、フージャー株を売る、という行為に対して、相当の抑止力がかかります。
そんなの、どんなハンドルネームを使っていても同じじゃないか、と思われるかも知れませんが、
例えば、これが「フージャース株を全力で持つ田中さん」であれば、
周りから見れば、「一点集中の投資方針を持つ田中さん」とも置き換えられます。
つまり田中さんは今はフージャース株に注力しているけど、それは現状、一点集中の対象がフージャースなだけで、売って次の銘柄に行くこともあるだろう、という風にも捉えられます。
ところが、「フージャース株を全力で持つフージャーさん」となると、フージャース株を持つという行為と、フージャーさんという名前が繋がってしまうので、周りからは、「一点集中の投資方針を持つフージャーさん」とは見えません。そうではなくて、あくまでもフージャース株を持っているからフージャーさんなのです。フージャーさんをフージャーたらしめているのは、フージャース株を持っているが故なのです。
そのフージャーさんが株を売るとなれば、相応の理由が求められるでしょう。少なくとも、田中さんがフージャース株を売る理由よりは、フージャーさんがフージャース株を売る理由のほうが、何倍も気になります。
いや、別にハンドルネームごとき、その都度変えればいいじゃないか、そうも思われるかも知れません。
しかし名前というのは不思議なもので、例えネット上だけとはいえ、長年使われ、その名前で呼ばれているうちに、愛着が出てくるものです。
長い期間同じハンドルネームを使い、活動されている方は、なんとなくこの感覚は分かると思います。
「自己を表す名前」は、特別なのです。
そうすると、自己が保有する株と、自己が表す名前を同一にするということは、その株を売りにくくなる、という意味で、売買に自ら制限を設ける行為であるとも言えます。
売買に制限がかかると、想定されるリスクもより高まります。先ほど述べた精神的な2階建て、というのはそういう意味です。
しかし逆に言えば、一定の条件が満たされるまでは売らないんだ、という明確な意志を持って行うのであれば、そこにさらに周りからの目線が加わることで、その意志をより強固にすることができます。条件が満たされるまで、株を持ち続けられる可能性は、飛躍的に高まると言えます。
実際に、フージャーさんは、復帰される目標を明確に宣言されています。
私はまた、フージャーさんが、戻ってくる日がくることを願っております。
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